誰かの特別になんてなりたくない

こんばんは、こいずみです。

日曜の夜をいかがお過ごしでしょうか。

 

今日は愚痴っぽい話です。

頼れる存在になろうとして自分をすり減らしてしまってないか、っていうぼく自身の話なんですが、なんかこう「いい聞き役になりがち」なことが最近めちゃくちゃ嫌なんですよね。

 

本心で言うと、人に頼ってもらえること自体は本能的に嬉しく感じる部分は今でもあるんですよ、きっと誰しも大なり小なりそういう感覚はあるような気はするんですが。

昔から相談を受けると一緒に悩んだり解決策考えてあげるようなポジションにいることが多かった気がします。でもそれって本当に自分のためになってるのかなーって疑問に思ってて。

 

相談を受ける内容も変化してきた気がします。

たとえば10年前だったら将来の進路の話だったり、恋愛の話だったりとわりと身近に感じれるものだったんですけど、今聞く話ってわりと人間関係のトラブル(職場だったり家庭内だったり)の話多いんですよ。

この辺の話って、解決策ないことが多いし正直聞かされても困る話が多い。話してる本人もきっとわかってるような気はする。相談っていうよりも愚痴を聞いてほしいニュアンスの方が近いのかもしれない。それだったらハッキリ言っとかないといけないかなーと思うんですけど、言葉のサンドバッグとしてぼくを選ばないで欲しい。

 

いやらしい話かもしれないけど、たとえば男性が女性に「なんかあった?話聞くよ?」って感じで声かける時って気遣いでもなんでもなくワンチャンス狙ってるもんじゃないですか?すべてがそうとは限らない、って思うかもしれないけど、99%はそうだと思ってます。知らんけど

 

そういう打算なしで動ける人って素晴らしいな、と個人的に思うし

出来ればそういう風にありたい、とも思ってたけど、やっぱり延々ともやもやする話を聞き続けることはしんどいし、正直生産的でもないと思うんです。

 

だから、今きっとぼく自身に必要なことは

「その話を聞くのはぼくの役目じゃない」って時と場合を考えて言える判断力を持つことなんじゃないかと思う。誰かにやさしくなる前に、きちんと自分のキャパシティを理解するところからはじめよう。

 

 

と、何の話かわかんないような愚痴をここまで読んでくださりありがとうございました。

このブログもぼくのエゴなんですが、暇つぶしや何かを考えるきっかけになったら幸いです。では、また。